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戦後から1970年代まで春日市に存在した米軍基地「板付ベース」

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  KBCの 2019年10月2日(水) 報道によると、 *春日市に残る20軒の米軍ハウス だそうだ。 1945年の敗戦後に開設された「板付ベース」は、約30年後、日本に返還されるまで春日市に存在しました。朝鮮戦争の際は前線拠点となり、ピーク時には約2500人のアメリカ人軍人が生活していたといわれています。基地周辺にはそうした米軍将兵用の住宅がたくさん建設され、通称「米軍ハウス」と呼ばれました。「米軍ハウス」には当時としては珍しい出窓があり、屋根はモルタル塗装。玄関近くの外壁には、「板付エアベース」を表わす「IAB」などの表記があります。 https://kbc.co.jp/shiritaka/detail.php?mid=4&cid=60&cdid=14704

西戸崎の米軍ハウス ーーすべてインターネットから収集ー要確認

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大野城市には、米軍6000名が

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  NHKの報道によると、「 基地の南側に位置する大野城市には、アメリカ兵の居住区画が整備され、昭和47年に返還されるまでの27年間、最大6000人の兵士が駐留する「基地の町」となりました。」であったそうである。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210930/k10013282941000.html この6000名のアメリカ兵の生活空間を提供した跡の一つが「米軍ハウス」である。それを大野城市文化財課の山村智子氏が担当して、調査が進展中であるという。その報告書が楽しみである。

大野城市の米軍ハウス(NHKの報道)

資料典拠  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210930/k10013282941000.html NHK2021年9月30日付け 「米軍ハウス」とは、戦後、 アメリカ軍の兵士・軍属などやその家族向けに建てられた住宅のこと。1950年6月25日に朝鮮戦争が開戦すると兵士の増員とともに「米軍ハウス」も次々に増え、最終的にはおよそ500軒になったといわれています。 大野城市の職員 山村智子氏 の調査によると、現在、 43軒が残っているそうです。

香椎地図

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東区和白の地図

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 埋め立てが始まる前の地図 鉄道線路は変わっていないので、例えば名島付近の線路が波打ち際スレスレであった。太閤道や「殿様道」も鮮明に辿れる。 勝崎山の裏手にある相浦。この地名こそが名残。

アメリカ国立公文書館所蔵 資料(香椎)

  Fukuoka  #1 (Kashi) From RG: 389 Subject Files National Archives Identifier:  892528     Container Identifier:  2123     HMS Entry Number(s):  A1 460-A   Creator:  War Department. Office of the Provost Marshal General. American Prisoner of War Information Bureau. Records Branch. ca. 1942-9/18/1947 P-5 Maps:  Fukuoka From RG: 338 Maps and Overlays National Archives Identifier:  5666847     Container Identifier:  3     HMS Entry Number(s):  P 50580   Creator:  War Department. Sixth Army. Engineer Section. 1/25/1943-9/18/1947